その時、首都高全面閉鎖
2011.03.15/Tue/19:51:12
【東日本大地震】
3月11日午後2時46分ごろ発生した東日本大地震。東京のオフィスでも大変な揺れでした(震度5強)。その直後は、いろいろなことが起こりました。
【首都高】
まず首都高が閉鎖になりました。

上の写真は首都高4号線上り方面、代々木付近の電光表示板です。拡大してみます。

「地震・通行止・左側停車(PARK ON THE SHOULDER)」と書かれています。その後、ずっと首都高は一般車通行止めとなり、緊急車両や物資輸送車だけが通るようになりました。
その通行止めは長時間続き、その翌日でも首都高の北東部は閉鎖状態が続きました。その記録として日本道路交通情報センター(JARTIC)の首都高の道路情報をコピーしておきました。

【山手線】
地震後、ほどなく山手線が止まりました。山手線には信号機がないというのは有名な話ですが、その理由は運行制御が高度に自動化され、信号機に相当する仕組みが運転席の表示板に統合されているからです。逆に言うと、そうでもしなければうまくさばけないほど、線路上にぎっしりと車両が配置されていることを意味します。
そのような特殊な運行形態の山手線は、運行が全面ストップすると「駅にたどり着けない」電車が出てきます。その結果、線路を避難する珍しい光景が見られました。


【早期帰宅】
地震直後は下の写真のように、ビルから飛び出して道路で心配そうに上を見上げる人が多くいました。

その後、向かい側の大企業では、安全ヘルメットを被って代々木公園に「集団退避」が始まりました。その後早期帰宅に踏み切った企業も多くあり、そのような判断をした企業の社員は早期にタクシーで帰れた人もいて、ラッキーだったかもしれません。

実際のところ、地震発生時点ですべての鉄道はストップしていて、3月11日(金)は何時間もかけて歩いて帰宅した人が大多数でした。当日の帰宅の足は相当混乱しました。さらに夜になると首相官邸から「無理して帰ろうとせず、オフィスなどの安全な場所に留まるように」との通達もあり、結局当日は帰れなかった人が東京では続出しました。
近所のビジネスホテルは軒並み満室。コンビニは食料品関係が早々に売り切れてしまうと言う異常事態でした。
【早期復興を望む】
震源に近い東北地方では「壊滅」した町・村もあると聞きます。私の周りでは被害はほとんどありませんでしたが、最終的には何万人にも達すると思われる犠牲者のことを考えると本当に胸が痛みます。
しかし、こんな時こそ元気を出して頑張らねばと自分に言い聞かせている状況です。
被災地以外に住んでいる人に何ができるかということを念頭に、まずは節電を心がけています。それに物資を自分たちのために買い占めたりすることは決してないようにしたいと心に決めています。
【関連ページ】
被災地以外で今できることまとめ
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最後までご覧いただきまして、どうもありがとうございました。
3月11日午後2時46分ごろ発生した東日本大地震。東京のオフィスでも大変な揺れでした(震度5強)。その直後は、いろいろなことが起こりました。
【首都高】
まず首都高が閉鎖になりました。

上の写真は首都高4号線上り方面、代々木付近の電光表示板です。拡大してみます。

「地震・通行止・左側停車(PARK ON THE SHOULDER)」と書かれています。その後、ずっと首都高は一般車通行止めとなり、緊急車両や物資輸送車だけが通るようになりました。
その通行止めは長時間続き、その翌日でも首都高の北東部は閉鎖状態が続きました。その記録として日本道路交通情報センター(JARTIC)の首都高の道路情報をコピーしておきました。

【山手線】
地震後、ほどなく山手線が止まりました。山手線には信号機がないというのは有名な話ですが、その理由は運行制御が高度に自動化され、信号機に相当する仕組みが運転席の表示板に統合されているからです。逆に言うと、そうでもしなければうまくさばけないほど、線路上にぎっしりと車両が配置されていることを意味します。
そのような特殊な運行形態の山手線は、運行が全面ストップすると「駅にたどり着けない」電車が出てきます。その結果、線路を避難する珍しい光景が見られました。


【早期帰宅】
地震直後は下の写真のように、ビルから飛び出して道路で心配そうに上を見上げる人が多くいました。

その後、向かい側の大企業では、安全ヘルメットを被って代々木公園に「集団退避」が始まりました。その後早期帰宅に踏み切った企業も多くあり、そのような判断をした企業の社員は早期にタクシーで帰れた人もいて、ラッキーだったかもしれません。

実際のところ、地震発生時点ですべての鉄道はストップしていて、3月11日(金)は何時間もかけて歩いて帰宅した人が大多数でした。当日の帰宅の足は相当混乱しました。さらに夜になると首相官邸から「無理して帰ろうとせず、オフィスなどの安全な場所に留まるように」との通達もあり、結局当日は帰れなかった人が東京では続出しました。
近所のビジネスホテルは軒並み満室。コンビニは食料品関係が早々に売り切れてしまうと言う異常事態でした。
【早期復興を望む】
震源に近い東北地方では「壊滅」した町・村もあると聞きます。私の周りでは被害はほとんどありませんでしたが、最終的には何万人にも達すると思われる犠牲者のことを考えると本当に胸が痛みます。
しかし、こんな時こそ元気を出して頑張らねばと自分に言い聞かせている状況です。
被災地以外に住んでいる人に何ができるかということを念頭に、まずは節電を心がけています。それに物資を自分たちのために買い占めたりすることは決してないようにしたいと心に決めています。
【関連ページ】
被災地以外で今できることまとめ
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カテゴリ: クルマ・バイク
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