書評 これからの「正義」の話をしよう
2010.07.11/Sun/17:41:01
タイトルがキャッチーだったので、日本の新進作家の書き下ろしエッセイかと思ったが違いました。著者は マイケル・サンデル、ハーバード大学の行政学部教授です。そのサンデル教授が、大学での倫理・哲学の講義の内容を1冊の本にまとめたものです。
例えば、このような話が紹介されています。
あなたは、路面電車の運転手。100km/h近いスピードで順調に走行中、ブレーキをかけようとしたところ、ブレーキが全く効かないことに気がついた。前方では5人の作業員が線路の保守を行っている。このままだと5人とも路面電車がひき殺してしまうことになる。手前には「支線」への分岐があり、運転手の操作でその支線に電車を進めることができるが、その支線にも1名の作業員がいて、支線に電車を進めた場合、その1名が死ぬことになる。
このような状況の際、どのような行動が望ましいか。
ハーバード大学の授業での話です。読みながら「警笛を鳴らす」とか「どけー、と大声で叫ぶ」とか設定外のことを考えてしまいましたが、議論のための条件は厳格です。講義では与えられた条件の下で、どちらを選ぶかについて議論がなされることになります。
一般的には「数の論理」ということになるでしょう。5名が死ぬより1名死ぬ方が被害を小さく食い止めることができます。
ところが、このような設定だったらどうでしょう。
あなたは、この路面電車が止まらない状況を察している傍観者。あなたの手元にはなぜかスイッチが握られていて、そのスイッチを押すと路面電車の線路の真上にかかっている橋の上から、何も知らない通行人が1名、線路の上に落ちることになっている。つまりそのスイッチを押すことで、その何も知らない通行人が1名死ぬが、保線作業員の5名の命は助かることになる。
この場合、スイッチを押すことが望ましい(正義)なのでしょうか。このように、設定を少し変えると、人間の正義に対する判断はろうそくの炎のように揺れ動くことになります。
著者はこのようなことを言います。「このようなどちらも極度に心が痛む事例の択一を迫られる状況は、一般市民レベルではほとんどない。しかし、軍事作戦、国家戦略、企業の岐路を決めるような決断などにおいて、この種の決断が必要とされる状況は、一定の頻度、一定の人員に対して発生する」。
その他にも、米国の巨大台風、「カトリーナ」の被害直後、小型ガソリン発電機が法外な値段で販売された事例についての考察、赤字企業のトップが法外な報酬を得ていることについて、アフガニスタンで隠密軍事作戦を遂行中、現地の羊飼いに遭遇し、その羊飼いを殺さずに解放してしまったために、タリバンの追いうちに遭い、部隊が壊滅してしまったことに対する考察など、人間の心理、倫理の本質をえぐりだす事例を多数紹介し、それについての考察が満載されています。
本を読んだ印象は「きわめて客観的」。通常のこの手の事例が紹介されると、著者は「これが正義だ、これが正しい」などと持論を展開しがちです。しかし、この著者は事例に対して、その事例に深く関連する過去の歴史、著名哲学者の見解などをちりばめ、問題提起的な帰結としてまとめています。
一個人の経験など、今までの全歴史のなかの多くの賢人たちの知恵から比べれば些細なもの。著者はそれをよく理解し、単なる個人の見解を軽はずみに入れないように深く注意しています。そのため、この本は著者の見識以上の重みと格調を持つことになります。
内容が高度だけに、1時間で読み切るわけにはいかないボリュームですが、ストレスを伴う意思決定をする必要がある人にとっては、必読の書だと思いました。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
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最後までご覧いただきまして、どうもありがとうございました。
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